日々の雑記

日々考えたこと・感じたことをメモしていきます。                                           ※あくまで筆者の一時的で気まぐれな主義・主張に基づく投稿であり、その内容は実在する個人や団体との関係を保証いたしません。

エッセー草稿:「なぜ私は音楽をするのか」

「なぜ私は音楽をするのか」。いまさらプロになれるわけでもないし、将来の仕事にはおそらく結びつかないだろう。中学高校の先輩や大学の先輩でも、音楽をやめてしまう人というのは少なくないです。

でも意地で自分が音楽続ける意味を考えてみました。「いまという時代」において「自分が音楽をする意味」を求めるために、まずはやり(?)の「人工知能」と芸術の関係性について触れた上で、その対比から芸術や音楽する意味を考えてみます。

1.人工知能と将棋

就職活動とかしていると「人工知能に仕事奪われるぞ」とか脅してくる大人がたくさんいます。だから「長期雇用で安泰」みたいな幻想は抱くな、っていう話です。いやその通りでしょうけど。就活生は割とこの手の話をよく聞くのではないでしょうか。

たしかに最近の人工知能の進歩は著しいようで、囲碁や将棋では人間のチャンピオンにAIが勝利することも起きています。なんでもGoogleが開発した囲碁プログラムアルファ碁が世界一のプロ棋士を破ったとか。

最近の目玉ニュースのひとつに、「藤井聡太4段29連勝で歴代単独首位記録!」や「加藤一二三9段引退!」といった将棋のニュースが多いですよね。藤井さんは将棋ソフトとの対戦を通して、「ミスのない将棋」、「最善手をみつける」ことを目指されていたそうです。既に将棋ソフトが名人を破っていることに加えて、「藤井さんが人工知能から学んでいた」ことからも将棋における人口知能の優位性を感じます。

2.人工知能が「芸術」を生む?

加藤9段は将棋を芸術に喩えて次のように言います。

…「将棋は芸術」が持論の加藤九段。将棋の魅力については「モーツァルトとかベートーベン、大天才の作品は今も世界中に喜びを与えている」と説明。自身がこれまで残した棋譜についても、「私の指した名局というものは棋士として、はっきり言って、大変な高いレベルの将棋を指してきた。生きる楽しみ、喜びを与えていると思っています」と語った。

(加藤一二三九段が引退 「将棋界のレジェンド」は62年10カ月間、こう戦った|ハフィントンポスト)

将棋の名局が「芸術」といえるのならば、対局で人間側が敗れたことで、ある程度人工知能は「芸術」を生めることを証明したと言えましょう。私見としても、名局と呼ばれる勝負は「芸術」だという意見には賛同できます。

人工知能と芸術のつながりで言えば、一時「人工知能が小説を書く」と話題になり、解説する本も出版されました。人工知能が書く小説は割合面白いそうですよ。
なんでも星新一作品賞というコンテストは「人間以外からの作品応募も受け付けている」とか。
ただ現状では、「コンピュータが人間の感性を予測して小説を書く」見通しはないようです(1)

人間以外(人工知能等)の応募作品も受付けます。ただしその場合は、連絡可能な保護者、もしくは代理人を立ててください。
審査の過程において、人工知能をどのように創作に用いたのかを説明して頂く場合があります。(第5回日経「星新一賞」|「星新一賞」実行委員会)

将棋、小説といった「芸術」は人工知能にその存在を脅かされつつあります。芸術面において、人工知能が人間にとって代わってしまうともなれば、芸術を生業とする人の価値も低下してゆくでしょう。

けれども、人工知能が偉大な画家のような感銘を与える絵を描いたり、素晴らしい作曲をするようになるのでしょうか。

3.ロジックが支配する「芸術」とそうでない「芸術」

ロジックが支配する「芸術」

あまり将棋ソフトや小説作成AIについては詳しくないですが、AIは「ある一手を打ったときに勝利する確率から最善手(一番望ましい打ち手)を割り出す」とか「データベース上の文章を読み込んで、その文章パターンを学習して、小説を書く」という風になっているようです。これらは論理的推論や、ビックデータの解析から成り立っているはずです。つまり、人工知能はロジックや過去経験の学習から、将棋の打ち手や小説のような「芸術作品」を生むことができます。

 

ロジックでは支配できない「芸術」

一方、たとえば音楽についてはしばしば「作曲家のきまぐれ」で作品が誕生します。もちろん中にはロジックを用いて、精緻に組み立てた大曲もあります。けれども音楽はこの限りではなく、直感・インスピレーション等から作品が生まれることも多くあります。藝大を卒業後、パリで作曲を学んだ高校の音楽科の先生はそう述べていました。

高校時代の私は、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の冒頭のスコアを持って、先生にたずねました。

「なんでここは、複調(2)プッチーニは書いたんですか!?」

「それは本人がそう書きたかったから。」

あまりにもそっけない現代音楽家の返事でした。

 

楽器の演奏が「演奏者のきまぐれ」に左右されるのは、明白なことです。細かいヴィブラートや音量の強弱の程度については、演奏者その人に全てが委ねられるからです。

 

4.「人工知能にできること、できないこと」から導き出される芸術を嗜む意味

前節からAIのアルゴリズムをプログラムしないと、AIから「芸術」が生まれることはない、と分かります。はたしてバッハやベートーヴェンの時代にAIが存在したとして、ジョン・ケージ(3)アルノルト・シェーンベルク(4)の作品を生み出すことができたでしょうか。ケージやシェーンベルクの音楽を熟知したエンジニアはもちろんいませんから、とてもそんなことができるとは考えられません。つまり、AIにも到達できない「芸術」の領域が存在することが分かります。

そうなると、人工知能によって達成される芸術とそうでないもの、つまりロジックや分析・解析によって達成される領域とそうでないものの存在が露わになります。

人工知能によって達成されることのないもの」、それを私は「人間性」が影響するものだと思います。

東京大学准教授の松尾さんは以下のように述べます。

…私たちが磨くべきは、人に共感したり、人とコミュニケーションをしたり、文化や芸術を理解するような、人工知能にはどうしても再現の難しい人間らしさです。それが、人間がより人間らしい生活を送ることを可能にするでしょう。
(人工知能に仕事を奪われる前に!今から学習すべき3つのテーマ|"未来を変える"プロジェクト DODA)

論理で解決できるような問題は、人工知能に任せればいいのでしょう。そうではなくて、「人工知能にはどうしても再現の難しい」問題を解決するほうが、人々が解決を迫られている課題といえるでしょう。「人間らしい生活を送る」ことが人間普遍に与えられた問題と仮定すれば、ですが。

芸術は人間が生み出すものであり、「人間らしさ」が影響を与えていることは間違いありません。たとえば、音楽は作品や演奏を通して、作曲家や演奏者の「人間らしさ」を知ることができます。芸術に親しむということは、作品を通して「人間らしさ」に触れているということなのでしょう。

「人間らしさ」ー生き様や感情のようなことでしょうかーは、語義通り「人間らしい生活を送る」ために必要でしょう(「「人間らしさ」とは何か」みたいな議論は哲学や倫理学に譲ります)。また「人の振り見て我が振り直せ」という故事にもあるとおり、結局人は「他人の振り」を見て、「我が振り直す」すなわち「新たな試みをおこなう」ことを続けるのでしょう。

だから私は音楽をするのでしょうね。

 

ありきたりかつ稚拙な文章で恐縮でした。

(1)右のページを参照。「「AI」が書いた小説はどれだけ面白いのか 人工知能で短編小説に挑戦した著者が語る」
(2)複調:ある楽曲で同時に複数の和音を鳴らす作曲技法。トゥーランドットの冒頭では、2つの和音が同時に鳴っている箇所がある。
(3)ジョン・ケージ(1912-1992):アメリカの現代音楽作曲家。代表作に「4分33秒」。
(4)アルノルト・シェーンベルク(1874-1951):オーストリアの作曲家。調性音楽から脱した、十二音技法を創始したことで知られる。


(追記)
NHKのクロ現で「人工知能×芸術」の特集はやってたみたいです。この特集では、現代AI技術がどこまで人間の感性にせまれているのか、ということが焦点となっています。使われている事例は、ちょうど音楽関係で、カリフォルニア大学の作曲してくれるAIですね。「進化する人工知能 ついに芸術まで!?」。

あとはこんなブログ記事もありました。「人工知能による芸術作品は本当の芸術作品と呼べるのだろうか?」。